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最高裁判所第一小法廷 昭和60年(あ)422号 決定 1985年7月17日

国籍

韓国(慶尚南道馬山市檜原洞街二一五番地)

住居

兵庫県姫路市飯田一番地

無職

陳文甲

一九〇〇年七月一八日生

国籍

韓国(慶尚南道馬山市檜原洞街二一五番地)

住居

兵庫県姫路市飯田一番地

パチンコ店経営

陳耕植

一九二三年一〇月一〇日生

右の者らに対する各所得税法違反被告事件について、昭和六〇年二月二六日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人両名の弁護人横田静造、同藤原忠の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 和田誠一 裁判官 谷口正孝 裁判官 角田禮次郎 裁判官 矢口洪一 裁判官 高島益郎)

○ 上告趣意書

被告人 陳文甲

同 陳耕植

右の者らに対する所得税法違反被告事件について、上告趣意の要旨は左記の通りである。

昭和六〇年五月一〇日

右被告人両名の弁護人

弁護士 横田静造

弁護士 藤原忠

最高裁判所 第一小法廷 御中

一、第二審判決が、(一)本件各所得の全部、即ち、事業所得、配当所得、不動産所得、譲渡所得、並に、雑所得の帰属が、被告人陳文甲(以下単に陳文甲という)一人のものではなく、被告人陳耕植(以下単に陳耕植という)他数名との共有に属するものであるに拘らず、これらがすべて陳文甲に帰属するものと認定したこと(控訴趣意第二及び第四の二に対するもの)、(二)本件事業所得のうち、「麻雀店」と「ドナ」並に「一等車」の事業所得は陳昌植に帰属し、「コペン」の事業所得は陳耕植に帰属すること明白であるに拘らず、これまた陳文甲一人に帰属するものと認定したこと(控訴趣意第四の一に対するもの)、(三)本件事業所得のうちパチンコ営業に関する所得計算において推計による計算方法を採用したこと(控訴趣意第三の二に対するもの)は、事実認定並に法令の適用に誤りがあり、それが判決に影響を及ぼすほど重大であり、これを破棄しなければ甚しく正義に反すると認められるので、第二審判決を破棄し、寛大なる裁判を賜りたい。以下に理由を開陳する。

二、本件各所得が陳文甲一人に帰属するとの認定が誤りである点について

本件において、まず弁護人が主張する問題点は、本件パチンコ店等の経営が陳文甲単独の経営(従ってその所得はすべて同人に帰属する)か、陳耕植等との共同経営(従ってその所得は陳文甲一人に帰属しない)かであり、第二審判決は陳文甲の単独経営と認定せられたが、これは誤りである。

弁護人は、パチンコ店広畑国際は陳耕植と金鐘大の共同経営(鐘大四〇〇万、耕植五〇〇万)、旧姫路国際会館は陳文甲、陳耕植、陳石甲、崔永道、崔春得、金徳伊の共同経営(土地、建物は耕植、石甲、徳伊各一〇〇万)、網干国際会館は陳耕植と金元祚の共同経営、広畑ニュー国際は陳耕植と金鐘大の共同経営、相生国際は陳昌植の単独経営、新姫路国際は陳文甲、陳耕植、その他右永道、春得、徳伊、鐘大、元祚、石甲らの共同経営(土地はこれら八名の共有)、喫茶店コペンは陳耕植の愛人野村が一〇〇万、文甲が一〇〇万、土地は耕植が出資し、野村がその収入で暮していたもの、一等車は一、三〇〇万円で、ドナは三七〇万円でいずれも陳昌植が買受け、同人のものである、と思料する。

第二審判決が、これらすべてを陳文甲の単独経営であると認定される根拠の一は、これらの店舗より生ずる売上金をほとんど陳文甲名義で預金しているからであるとせられるけれども、本件各店の経営者はいずれも陳文甲の息子、娘婿、兄弟姉妹等であって、他人は一人も存在しておらず、韓国の慣習に従い、家長である陳文甲がいずれも金銭管理を委かされていたに過ぎないのであって、決して陳文甲個人の単独所得ではなかったのである。

陳文甲の性格が真面目で、金銭の取扱いが厳格であり、こまめにきっちりと取扱うのみならず、預金をするにも裏金利をとるとか金融機関との交渉が上手である。のみならず、韓国の家長絶対尊重、親孝行の風習から、家長である陳文甲に金を預けて、出してもらう。こうして陳文甲に会計を一任しておくことにより共同経営者がいずれも安心して経営がスムーズにゆく。それは陳文甲が共同経営者らの信頼を受けており権威がある、という理由によるものである。

而して、姫路市に於る韓国人の経営するパチンコ店の同業者組合長である鄭鉉祚は第一審法廷に於て、陳文甲は頑固で正直で、嘘を云わぬ人柄である。親が耄碌しない限り金銭の管理は親に委託するという風習が強く残っておる、と証言している。

これを要するに、韓国の慣習から家長である陳文甲を信頼してその兄弟姉妹、娘婿、息子らが、その共同経営なると単独経営なるとを問わず、一切の売上を陳文甲に管理運用せしめていたに過ぎないのであって、決して陳文甲一人の売上金ではなかったのである。

次に、弁護人は、本件パチンコ店の経営の発端から発展の経路をたずねて、本件パチンコ店の経営が、決して陳文甲の単独経営でないことの事実を主張する。

陳耕植が第一審公判で詳細に供述しておる如く、パチンコ店は昭和二六年頃、耕植が飾磨の飲食店を改造し、自分が飲食店や屑鉄で儲けていた金を資金として、パチンコ店の経営に乗り出し、文甲は何らこれに関与しなかったのである。このパチンコ店の経営が時流に乗り調子よく行き、昭和二八年には耕植は鐘大と共同で広畑国際を始め、五年後の昭和三一年には耕植が中心となり、前記肉親等と共同して旧姫路国際を、昭和三七年には網干国際を、更に、昭和三九年には新姫路国際の各パチンコ店を経営するに至り、次にその愛人に本件喫茶コペンを経営させるに至ったものであり、その間、商才のある弟昌植が単独で昭和三六年相生で国際会館を始め、更に、同人は単独で喫茶店一等車、ドナ等を経営するに至ったものである。

これらの経過に鑑みれば、パチンコ店等の経営に文甲が資金を提供した証拠もなく、又、文甲にはパチンコ店等経営の商才や能力もなく、ただ金銭の管理をしていたに過ぎない。

前記の如く、本件パチンコ店等の経営が、陳文甲の単独経営でなく、肉親若くは姻戚を交えた共同経営であったことは、ひとり被告人両名及び前記共同経営者等の検察官に対する各供述によって明白なるのみならず、前記鄭鉉祚と李鐘供の第一審に於ける証言によっても明らかである。即ち証人鄭鉉祚は、昭和三一年頃陳耕植から大手前のパチンコ店の共同経営の申込みを受け、単独で経営すれば危険負担が大きいので三、四人で共同経営したい、お前も加わらぬかとさそわれたが、自分は失敗すると思ったので加入しなかった。然し、昭和三二年末頃予想外の客足がつき、自分が売り込んだ機械代の請求に行ったところ、崔春得から高いと文句を云われたので、どうしてそんなことを云う権利があるかと聞くと、自分は共同経営者の一人だ、自分以外にも永道、徳伊、石甲らが共同経営者だと申していた。又、春得からは、力が耕植にかたより過ぎると苦情を聞いたが、耕植は利益を配当せずに蓄積して他の事業の為に使うなど、と云っていた。営業名義を文甲にしていたのは、申告するとき相談を受けたが、耕植名義の広畑のパチンコ店で事故が多いので文甲名義にすることに決った。パチンコ店の税金の申告はすべて朝鮮総連系の朝鮮商工会で決めてそこを通して申告していた、と証言している。

また、第一審に於ける証人李鐘供も、昭和三二年一一月頃から旧姫路国際パチンコ店に二年間程勤務していたが、勤める際耕植から供同経営者が四人程いるといわれたのでいやだと云ったが是非と云われて支配人になったが、半年か一年程して共同経営者の春得や、同石甲の長男の大原らが、仕事上の注意をするとわしは営業主や、お前何を云うとるのかとごてごて云うので辞めた旨証言している。

其の他、第一審に於ける証人朴龍基等も本件姫路国際が陳文甲の単独経営ではなく前記肉親等との共同経営であったことを具体的に述べ、韓国人は姫路は勿論、県下の加西や大阪等でもパチンコ店を共同経営していると証言している。

また、西田税理士の第一審に於ける証言によれば、同証人は本件査察開始後被告人より委任を受けて処理したが、自分の調査では相生国際とドナは昌植の単独、その他の店は一応文甲、耕植、鐘大、春得らの共同経営と判断した、査察以前の大阪国税局所得税課の話では相生は昌植、他は文甲、耕植の共同経営だとのことであったが査察になってから、査察担当の斉藤らに会ったら、時間的制約でむつかしく独自の判断をしたが、後で考えると無理な点があった、相生は明らかに単独だが他の店は共同経営者が何人になるかがむつかしい、文甲一人にしぼったのは無理だったと申されていた旨、証言している。

なるほど、本件には共同経営に関する契約書も帳簿もなく、我々日本人、特に法律家からみれば納得のいかない点もあるが、本件共同経営者らは商習慣にとぼしく文盲であり、書面によらず互いに信頼することで、共同経営をしてきたのであり、これは韓国の慣習に基くものである。特に陳耕植はパチンコ店営業の補佐にあらず、主体であり、むしろ、耕植こそ営業者というべきで、文甲はむしろ金銭の監督者であったことを強調しておきたい。

本件共同経営はその後昭和四九年一月末解散せられ、各共同経営者に利益の配当をした詳細は既に第一審に於て立証した通りである。

被告人らは、以上により、かたく本件の無罪を信じているものであるが、一応、判決の確定する迄の国税庁に対する処置として所得税を一億九一九万二、五二〇円、事業税を五六七万九、七六〇円、市県民税を二、三六四万四、七二〇円を納税しているが、これは、有罪であることを認めての処置でなく、国税庁に対する処置としてなしたるものであることをご留意賜りたい。

三、パチンコ事業所得の計算に当り推計による方法を採用したことが誤りである点について

第二審判決は、第一審判決と同様にして、昭和三八年、三九年(以下対象年という)には被告人らの帳簿が整備されていなかったことを理由に、帳簿の整備された昭和四〇年六月ないし一〇月の五カ月間(以下実績期間という)の各店舗の売上高に対する銀行入金率及び売上原価率を計算し、銀行調査によって判明している対象年における各店舗の年間銀行入金額を右銀行入金率で除することによって対象年の各店舗の売上高を推計し、これに右売上原価率を乗ずることによって仕入高を推計し、かくして算出した対象年の売上高より仕入高を控除して売上利益を算出し、更に、それから各種経費を控除して対象年の純利益(事業所得)を算定する方法を是認しているが、対象年における銀行入金率及び売上原価率が実績期間内におけるそれらと同一である根拠はなく、たとえ一パーセントの差異があるとしてもその結果には重大な影響が及ぶものであるから、右推計計算の方法は明らかに合理性を欠いていると言わなければならないのである。

以上

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